昭和初期の記憶

                   
昭和初期の記憶(戦前の話) 

 私の家は足利の南を流れる渡良瀬川の土手下にあった。子供の頃、近くの長屋の子供たちとよく河川敷で遊んだ。その頃、川にはまだ本格的な堤防がなく、川べりには水流を調整するための石を詰めた蛇籠が敷き詰められていた。春になると蛇籠のまわりには小さな針メダカが群れをなして泳ぎまわっていた。

 五歳を過ぎる頃になると川の中州が遊び場になった。中州に降りるには、まず鉄橋の欄干を越えて橋桁を降りなければならなかった。橋桁の高さは下の砂地まで二メートルほどあったろうか、橋桁から飛び下りることは子供でも出来たが、登るには縄梯子が必要だった。ある日、一人で中州に降りたものの、その日に限って縄梯子がなく、泣きながら中州を彷徨ったことがある。幸い、釣りにきていた大人に出遇い、事なきを得たが、その時の心細かった思いは今でも忘れ難い。