山辺町

 足利市の南縁に沿って流れる渡良瀬川には、銀色のわたらせ橋と褐色に塗られた中橋の二つの鉄橋がある。すでに公害の記憶も薄れ、渡良瀬川の水は私のなかでは、いつも澄んだ瀬音を立てて流れている。
 私にとって河川敷は子供時代、唯一の遊びの空間であり、この二つの橋の間を流れる渡良瀬川が、今でも足利の忘れ難い景観として記憶のなかから立ち上がってくる。

 渡良瀬川の対岸の山辺町には大小二つ浅間山はあり、小さい方は女浅間、大きい方は男浅間と呼ばれていた。今はないが女浅間の裏手には、くぬぎ林が広がり、よくクワガタ虫を探しにいった思い出がある。
 子供の私にとって、対岸の山辺町は屈強な子供が棲む異世界だった。相手方もそう思っていたはずである。だから双方が縄張り意識を持ち、相手に対して漠然とした敵意ようなものを抱いていた。
 両岸に住む子供たちは、よくわたらせ橋を挟んでよく石合戦をした。石の投げ会いは激しいものだった。事前に衝突の日が決まっていたかどうかは定かではないが、山辺側から子供たちが大挙して橋を渡ってくると、こつら側も手作りの木の盾をもって応戦した。時には殴り合いになることもあったが、ケガをしたと言う記憶はない。
 山辺町には楽しかった思い出もある。対岸の河川敷には、毎年春と秋、牡丹園が開園し、近隣から着飾った大勢の人たちが集まり賑わいをみせた。牡丹園は、季節になると一面に色とりどり牡丹の花か咲き乱れ、娯楽の少ない当時としては、まるで別世界に迷い込んだような華やいだ気分にさせる場所だった。確かに真紅の牡丹は綺麗だったが、今から思えば、園内には小さな演芸場があるだけの極めて素朴な遊園地だったような気がする。