夏の河川敷

夏になると渡良瀬川の河川敷には、三、四軒の葦簀張りの茶店がでた。店まわりには竹の縁台が置かれ、店では、小さく切ったジャガイモを串刺しにしてフライにしたイモフライやコロッケ、かき氷などを商っていた。客は主に近所の子供たちか、川辺に遊びにきた家族ずれが一時立ち寄るくらいのものだった。それでも日焼けした顔のおかみさんはせっせとイモフライや豆腐のおからを平らに延ばしたコロッケを揚げていた。
 もう一つ渡良瀬川の風物詩として忘れられないのは、夏に開園する納涼園である。納涼園は板張りで造られた仮の劇場で二園あり、一つ小屋では旅役者が演ずる股旅ものなどの時代劇が演じられていた。
 もう一つ小屋では若い女たちが演ずる唄や踊りが華やかに繰り広げられていた。
 当時、入場料がどのくらいだったか覚えはないが、子供の小遣では入場できるほどの金額だったと思えない。一、二度誰かに連れられて入った記憶はあるが、どんな芝居だったかまでは憶えていない。
 はっきり記憶しているのは、小屋のまわりに一段高く戦争画が飾られていたことである。絵は当時名の知られた画家の戦争画を、映画の看板のように大きく拡大しいたもので、海戦図や零戦による空中戦図が目をひいた。
 昭和十二年、日中戦争画始まる頃から有名画家の多くが戦地に動員され、戦意高揚のための戦争画を描いた。藤田嗣治ノモンハンの戦闘を描いた絵はよく知られており、藤田は他にもアッツ島玉砕など多くの戦争画を描いている。細い筆で透き通るような女性像を描いてパリ画壇で名をはせた藤田の筆力は、戦争画を描いても傑出していた。
 思い出すままに名をあげれば、他にも宮本三郎小磯良平猪熊弦一郎などの画家が頭に浮かぶ。
 戦争画は、人々を戦争に引き込む上で大きな力を発揮する。日露戦争でロシアのバルチック艦隊を撃破した日本海海戦で、旗艦三笠のデッキに立つ東郷元帥の絵は、戦争画の傑作して広く知られている。絵の持つ視覚的なインパクトは強烈で、理屈抜きに人々に食い込み、戦争肯定へと駆り立てる力を持っている。
 こうした戦争画はやがて子供の絵本にも溢れるようになり、庶民を戦争の賛美者へと導くために、戦争とはおよそ無縁な渡良瀬川の芝居小屋にも飾られるようになったのだろう。 戦争遂行に馬車馬のように走り始めた軍部の圧力は、画家に限らず文学者にも加えられたのは言うまでもない。