戦争の影

隣の工場には、女工さんは少なく、工員の多くは若い男たちだった。彼等は野球好きで、近くの子供たちを集めてよくキャッチボールをしていた。
 その彼等にも戦争の影は徐々に近づきつつあった。
 日中戦争が進につれて、男たちの何人かも兵士として招集されるようになっていた。彼等はまだ内地勤務だったので、盆や正月の休みには大抵、軍服姿で工場に戻ってきた。
 多分正月だったと思うが、そんな彼等といろりを囲みながら話したことがある。その時炊事係だったと言う一人がこんな話をしていた。
 小意地の悪い上役で、二等兵を毎日ように殴る奴がいた。何かにつけ問答無用と拳を振うので仕返しに、みんなで頭のフケを味噌汁に入れてやった。ところがその上官は、そんなこととは露知らず「旨い、うまい」と言いながらその味噌汁を飲んでいた。そのしたり顔を見て、みんなで大笑いをしたと言う、たったそれだけの話だが、余程痛快だったのだろう、集まった男たちも腹を抱えて大笑した。
 軍隊に陰湿ないじめもの話も数多くあるが、その頃はまだ、それを笑いのめすゆとりもあったと言うことだろうか。