太平洋戦争の頃

 

 昭和十六年、1941年、真珠湾攻撃に始まる太平洋戦争は、初戦で大きな戦果を収めた。小学校高学年だった私は、ラジオから東部軍官区情報と言うリフレーンが流れる度にラジオに齧りつくようにして、大本営発表を聞いていた。
 何故、日本が無謀とも言えるアメリカとの戦争に踏み切ったのか。そのことについては今でも様々な分析が行われているが、個々の理由は別として、結果として戦争を回避できなかったのは事実であり、イギリスの歴史家トインビーならって言えば、軍国日本が、発展、爛熟、消滅と言う宿命的な路線を辿ったと言うことになるのかも知れない。
 その考え方は、必ずしも次世代への反省を導き出すものではないが、だからと言って日本国民を戦争に駆り立て、多くの庶民に想像を絶する被害を与えた軍官僚の責任が見逃されるわけではない。
 たしかに太平洋戦争の初期には、多くの日本人が戦勝に酔いしれ、心の底から、軍国日本、あるいは神国日本と言う名のナショナリズムを高揚させていたのも事実である。しかしそれは太平洋戦争が日本本土と言う観客席から遠く離れた地域、東南アジアや南の島国で行われていたからではないだろうか。