将校

 戦時中、軍事訓練を担当していた配属将校の一人に岡崎中尉がいた。中尉は、足利の北にある北郷村の出身で、見るからに軍人らしいがっしりした体つきの男だった。
 彼は、主に軍隊式の隊列の組み方や三八式歩兵銃の扱い方などをわれわれに指導していた。その岡崎中尉に、私には忘れられない仕置の思い出がある。
 私が何気なく奉安殿を通り過ぎようとした時である。何処からともなく岡崎中尉が現れ、大声で私を呼び止めた。当時奉安殿は、神、天皇が鎮座する場所であり、誰も一礼せずには通り過ぎることは許されなかった。
 中尉は、私の前に立ちはだかると、「畏くも天皇陛下の前を素通りするとは何事だ」大声でまくし立て、きなり頬を二、三回平手打ちにした。私が地面に転倒すると、今度は目の前の石を指差し「拾え、石を両手で頭の上に揚げるんだ」言い放った。
 いわれるままに、私が石を両手で頭の上に差し上げると「畏くも天皇陛下に対して無礼を働くことは万死に値する」と言い残してその場を立ち去った。たまたま私の立った場所が職員室からよく見える場所だったので、腕のしびれるのを我慢して、しばらく立ったままでいた憶えがある。
 奉安殿は、天皇、皇后の写真が常時収納されている場所で、全国の学校にあり、神国日本の象徴として機能していた。今の憲法でいう象徴天皇制とは異なり、すべての力を一手に握る文字通り権力の源泉である。
 天皇、皇后の写真は、式典の度に講堂の壇上に飾られ、重々しい口調で式辞が述べられるが、私には、そうした式典が何故か滑稽に思えてならなかった。天皇に対してそれなりの敬意を持っていたはずの私だったか、その笑いが何処から湧き上るってくるのか、自分でもよく分らなかった。儀式もあまりに形式化されてくると形式の持つ特有の美と、反面の滑稽さが合わせ鏡のように写しだされてくるのかも知れない。