戦後の学校2

 教師からの圧力が徐々に薄れるにつれ、生徒はしばしば規則を無視した行動をとるようになった。無断で休む者もあり、授業を無視して教室内を勝手に歩きまわる者もいた。
 ある時、数学の授業中に私を含めて五、六人生徒が窓から一挙に脱出したことがある。脱出組は、教室の縁に沿って体育館まで逃げ、そのうち何人かは、さらに奥の剣道場に駆け込み黒板の裏に隠れた。
 さすがに教師も異常事態を放棄できず、隠れていた生徒全員を探しだし、職員室に連行した。逃亡した生徒は職員室の床に正座させられ、説教を食らった。なかには問答無用とばかり平手打ちを食わす教師や「またこいつらか」と生徒の頭を靴で蹴とばす教師もいた。多分、その時が教師による最後の暴力沙汰だったような気かする。
 教師の本音としては、勉強嫌いな生徒に対しては、注意するよりただ成り行きに任せるしかないと諦めていたように思えてならない。
 戦中戦後を通して、ほとんど態度の変らなかった教師の一人に歴史を教えていた戸倉先生がいる。どちらかといえば、飾らない人柄で、その表情には、いつも世間の風潮から一歩身を引いたようなシニカルな微笑をたたえていた。もちろん、出来の悪い生徒には厳しかったが、だれ、かれと生徒を差別するようなことはなかった。式典で笑った時には大いに怒られたが、それ以外に先生からお叱りを受けた憶えはない。
 歴史の時間になると、戸倉先生は、いつも五、六冊の本を抱えて教室に入ってきた。そのなかの特に分厚い一冊は、H・G・ウエルズの「世界文化史大系」の原書だった。ウエルズには「世界文化史概観」という広く流布している新書判もある。ウエルズはまた映画にもなった「火星人襲来」でもお馴染みのイギリス人作家である。
 戸倉先生が戦時中でも、戦争に荷担するような雰囲気を特に見せなかったのは、歴史を通じて皇国史観とは別な、リベラルな教養を身につけていたからではないだろうか。
 戦争との関連を強いて挙げれば、第一次世界大戦の頃に活躍したドイツ巡洋艦エムデンが英国海軍の包囲網を次々に突破して逃避行を続ける物語を思い出す。それを友邦ドイツへの称賛とみる向きもあるが、私には、遠い昔のユリシーズの帰還物語でも聞くような、当面の戦争とは全く次元の異なる冒険談として聞いていたような気がする。つまり戦時中に繰り返し語られていた軍神神話とは似て非なるものだと言う意味である。