教師たちの戦後

 敗戦後二年が経ち、学校の空気も大きく変わり始めた。敗戦の混乱は、一時的にせよ、生徒たちに、鉄の鎖から解放されたような自由を与えた。しかし教師にたちにとって敗戦と言う経験は、想像を絶する重荷として意識されていたに違いない。なぜなら、教師の多くは敗戦の混乱で「師」としての尊厳をすでに失い、誰もが、その立て直しに苦慮していたからである。
 教師の多くは校則を無視する生徒がいても、ただ戸惑うだけで、それを制止するだけの力も気概も失っていた。
 唯一の救いは、半数の生徒が、大学受験を目指していたことである。少なくとも彼等に対しては、教師は受験に必要な知識、たとえば英語、国語、数学、歴史などを教えることを通して、一定の役割を果たすことができた。しかし他の半数は、文学や絵画、演劇、遊びなどに熱中し、学校の授業にはあまり関心を示さなくなっていた。
 教師としても、本来の授業に不熱心な、遊芸のやからを、どのように扱ったらいいか迷っていたはずである。教師の立場からみれば、彼等を通常の授業の枠のなかにもう一度引き戻すか、排除するかのいずれかしかない。そのためには生徒の仕分けが必要になる。
 ある日、職員室で一人の教師に「あいつと付き合っているとろくな者にはならない」と注意されたという友人がいた。「あいつ」とは私のことである。その友人から、その報告を聞いて、私にはすぐに職員室でひそひそ話をする数人の教師の顔が浮かんだ。戦時中、節のある竹の棒で、出来の悪い生徒の頭を小突いていた谷津先生、物理の鈴木先生ボーイングこと丸山鉄也先生なら、いかにも言いそうなことだと思った。
 しかし考えてみれば、何人かの教師が私を悪者に仕立てたのも無理もなかった。教師にとって生徒の善し悪しを決める唯一の基準は、昔も今もあくまで学校の成績である。